2年間を支えてくれたもの
2009年 12月 11日
昨日、帰ってきてから今週13日に豊橋国際協力協会で開かれる「ウガンダ講演会(90分)のために準備をしていたときのこと。
ウガンダで活動中の2年間にたくさんの心温まる手紙を日本からいただいた。心が折れそうなとき、数々のメッセージが支えてくれた。
母親からのもの、妹からのもの、高校時代・大学時代の友人・知人、教え子の母親と・・・・
そこには本当に多くの方々からの「言葉」「思い」があった。
1枚1枚読んでいくと、「俺は1人じゃなかった。こういう人たちがいてくれたからこそ2年間やりきることができたんだ。」と改めて感じさせてくれた。
高校3年生の頃を思い出した。
3年間小学生のころのイメージとは違い、思うようにいかず、投手としてチームに迷惑をかけた。試合を壊すことも何度もあった。
でも、仲間たちはそんな俺を最後まで見捨てなかった。
最後の夏に中継ぎとしてマウンドに立ったとき、仲間たちがマウンドにきて「お前ならできる!俺たちに任せろ!」と言葉をかけてくれた。
さらに、スタンドに応援として駆けつけてくれた、40名のクラスメイト、後輩たち、先生方、すべての人たちが「ゾノコール」を大合唱してくれたのだ。
体が震えた。正直涙が出そうになった。
あの時、俺は誓ったのだ。
今までは「自分のことだけ」を考えて生きてきた。でもこれからは、
『将来、出逢った人々に応援され、信頼される人間になりたい!感動を与える人間でありたい!』
そう強く心の中に抱いたのだ。
【感動が人を変える】
『人は思い描いたように、日々それに近づいていく』
『求めば出会う。思いが出会いを引き寄せる』
(幼き頃の思い出)
私は、特に秀でた力をもっていなかった。野球でも天才型ではなく努力型の人間であった。
小学校の頃、
暇を見つけては、「プロ野球選手になってドラゴンズで活躍するため」に壁当てをしたり、素振りをしていた。
そんな日ごろの努力が実ったのか、
市内で最優秀投手に選ばれ、県大会でも準優勝投手となった。その時のチームは小学校5年生のとき仲間を集めて0からチームを作っただけに今でもよくやったと思う。
その後、中学3年間「ボールも握れなかった・・。」「大好きな野球」ができない辛い日々が続いた・・時間と共に去っていく栄光、名誉・・・・。
いろんなものを失ったとき初めて、天狗になっていた自分に気がづいた。「野球がなくても尊敬される人にならなくてはいけない!」そう中学生ながら心に誓った。
人生で初めて【心(内面)を磨くこと】を知ったのである。
それからというもの、勝つためには『人が1でできることを自分は10やる。人が10でできることを自分は100やる』そんな気持ちで生きていた。
今、ウガンダの2年間と帰国してからの生活をふまえて自信をもっていえることがある。
何事も『できないのではなく、やらないのである』
ということ。
2年前までには「やればできる・・・でもできない人もいるかもしれない・・・・。」と少し奢っていた。
しかし、「自分はできる!」と思い込んで、本気になることで本当にできてしまうことを知った。成長するウガンダの子供たちを見ていて「誰でもできる!」ということを知ったのだ。
人間の力の可能性を実践を通して学んだ。
『人の可能性は無限大である』
『具体的にイメージできることは実現できる』
どんな環境でも人は大成する可能性を持って生まれてくるのである。いつでも自分の限界を決めるのは【自分】なのである。
確かに、【周りの声、常識的発想、社会の力関係、マスコミ等々】
自分のやる気を削ごうとするものもあるのかもしれない。(確実にウガダより多い)しかし、いつでも、よっぽどの環境でない限り、最終的な決断をするのは【自分】なのではないか。
今の時代、それが無条件で許されているのである。
こんなチャンスはない!!日本は最も夢を実現しやすい国なのではないかと感じる。
【思い・志】を抱けば、人とつながり、応援してくれる方々がたくさんいる。本来、日本人は「人のために何かをする」のが得意な民族なのだと思う。
だから、原点である『何のために(高校時代に抱いた思い)』をこれからも大切にして生きていきたいと思う。
最近しびれた名言です!!
『全力で頑張ってもうまくいかないこともある。それによって全力でなかったことがわかる。』
次回からは「自分の人生に影響を与えてくれた仲間シリーズ」をお届けします☆
ウガンダで活動中の2年間にたくさんの心温まる手紙を日本からいただいた。心が折れそうなとき、数々のメッセージが支えてくれた。
母親からのもの、妹からのもの、高校時代・大学時代の友人・知人、教え子の母親と・・・・
そこには本当に多くの方々からの「言葉」「思い」があった。
1枚1枚読んでいくと、「俺は1人じゃなかった。こういう人たちがいてくれたからこそ2年間やりきることができたんだ。」と改めて感じさせてくれた。
高校3年生の頃を思い出した。
3年間小学生のころのイメージとは違い、思うようにいかず、投手としてチームに迷惑をかけた。試合を壊すことも何度もあった。
でも、仲間たちはそんな俺を最後まで見捨てなかった。
最後の夏に中継ぎとしてマウンドに立ったとき、仲間たちがマウンドにきて「お前ならできる!俺たちに任せろ!」と言葉をかけてくれた。
さらに、スタンドに応援として駆けつけてくれた、40名のクラスメイト、後輩たち、先生方、すべての人たちが「ゾノコール」を大合唱してくれたのだ。
体が震えた。正直涙が出そうになった。
あの時、俺は誓ったのだ。
今までは「自分のことだけ」を考えて生きてきた。でもこれからは、
『将来、出逢った人々に応援され、信頼される人間になりたい!感動を与える人間でありたい!』
そう強く心の中に抱いたのだ。
【感動が人を変える】
『人は思い描いたように、日々それに近づいていく』
『求めば出会う。思いが出会いを引き寄せる』
(幼き頃の思い出)
私は、特に秀でた力をもっていなかった。野球でも天才型ではなく努力型の人間であった。
小学校の頃、
暇を見つけては、「プロ野球選手になってドラゴンズで活躍するため」に壁当てをしたり、素振りをしていた。
そんな日ごろの努力が実ったのか、
市内で最優秀投手に選ばれ、県大会でも準優勝投手となった。その時のチームは小学校5年生のとき仲間を集めて0からチームを作っただけに今でもよくやったと思う。
その後、中学3年間「ボールも握れなかった・・。」「大好きな野球」ができない辛い日々が続いた・・時間と共に去っていく栄光、名誉・・・・。
いろんなものを失ったとき初めて、天狗になっていた自分に気がづいた。「野球がなくても尊敬される人にならなくてはいけない!」そう中学生ながら心に誓った。
人生で初めて【心(内面)を磨くこと】を知ったのである。
それからというもの、勝つためには『人が1でできることを自分は10やる。人が10でできることを自分は100やる』そんな気持ちで生きていた。
今、ウガンダの2年間と帰国してからの生活をふまえて自信をもっていえることがある。
何事も『できないのではなく、やらないのである』
ということ。
2年前までには「やればできる・・・でもできない人もいるかもしれない・・・・。」と少し奢っていた。
しかし、「自分はできる!」と思い込んで、本気になることで本当にできてしまうことを知った。成長するウガンダの子供たちを見ていて「誰でもできる!」ということを知ったのだ。
人間の力の可能性を実践を通して学んだ。
『人の可能性は無限大である』
『具体的にイメージできることは実現できる』
どんな環境でも人は大成する可能性を持って生まれてくるのである。いつでも自分の限界を決めるのは【自分】なのである。
確かに、【周りの声、常識的発想、社会の力関係、マスコミ等々】
自分のやる気を削ごうとするものもあるのかもしれない。(確実にウガダより多い)しかし、いつでも、よっぽどの環境でない限り、最終的な決断をするのは【自分】なのではないか。
今の時代、それが無条件で許されているのである。
こんなチャンスはない!!日本は最も夢を実現しやすい国なのではないかと感じる。
【思い・志】を抱けば、人とつながり、応援してくれる方々がたくさんいる。本来、日本人は「人のために何かをする」のが得意な民族なのだと思う。
だから、原点である『何のために(高校時代に抱いた思い)』をこれからも大切にして生きていきたいと思う。
最近しびれた名言です!!
『全力で頑張ってもうまくいかないこともある。それによって全力でなかったことがわかる。』
次回からは「自分の人生に影響を与えてくれた仲間シリーズ」をお届けします☆
by peacefulsports89
| 2009-12-11 09:56